私は戦術や技術を細かく教える主将ではないと思う。無論、やれと言われてもできない。ラグビーは考えてどうこうなるものではなく、やるかやらないか、強いか弱いか、勝つか負けるかしかいと思う。
では、何故私が主将なのか。前線で体を張るから、その一言に尽きると思う。逆説を取れば体を張らぬ私に主将としての価値は無い。これは自戒であり、挑戦である。
現状は思わしくない。昨年の戦績を考えれば勝利は遠く、乗り越えるべき壁は高い。挑戦は過酷だ。今、東大でラグビーをするということはそれ以外の選択を許さない。
大学生がラグビーをするということに意味があるのだと思う。それがアマチュアスポーツであるからこそ価値を見出せるのである。あらゆる見返りを切り捨て、純粋な勝利を至上命題に据えることが我々の存在意義である。
それは勝利への信仰であり、力への意志だ。より、動機をシンプルにすべきだ。何故ラグビーをするのか。ラグビーがしたいから。
いかにして勝利を目指すのか。単純な練習の積み重ねか、構造の抜本的改革か。
暗中模索の中、たどるべき道筋はかすかに見えていると思う。とにかく、実行すること。平年より早く始動し、ミーティングを増やし、体重を管理し、合宿をする。挑戦は未知との衝突を恐れてはならない。摩擦を避けていたら前には進めない。
「駑馬十駕」という言葉がある。駿馬は一日にして千里を行く。しかし、駑馬、つまり鈍く遅い馬も十日走り続けることで同じ千里にたどりつく。我々は駿馬ではない。故に走り続けなければならない。
挑戦は過酷だ。その過酷な日々を続けることにこそ活路はある。
私には何ができるか。常に前を向くことだと思う。
馬車馬は目を覆い、前しか見えない。狭められた視野で進み続けることが唯一私が戦うすべである思う。
耳の奥で、蹄鉄の音が、鳴り止まない。
2016年2月8日
東京大学ラグビー部主将
棚橋 春喜