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OB/OG
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昭和44年卒部
最高裁判所判事
大谷 剛彦
――東大ラグビー部の4年間をどのようなときに思い出しますか?
私は,社会人になってから裁判所という公の組織の中におりますが,その仕事,生活の中で日常的に,一つの,そして大きな経験として思い出しています。ラグビーのフェアプレー,フェアジャッジの精神やワン・フォー・オール精神がベースになっていますし,4年間スクラムのプロップを務め,組織における支柱の役割,個人の力を組織の力にするための姿勢などを参考にしています。――4年間を一緒に過ごした同期はどのような存在ですか?
今は亡きキャプテンが福島の山中を独力で開墾してミニグランドを造ったことに象徴されるように,同期には経済部門,技術部門,公務部門,文化部門などに個性的というかユニークな友が多いのですが,集まれば「あの頃」の話で盛り上がります。皆「あの頃」を糧にそれぞれの部門で伸びてきました。立場上交際にも気を使いますが,同期は間違いなく最も信頼の置ける貴重な存在です。――4年間で一番嬉しかった出来事はなんですか?
四年生のときは大学紛争の真只中で練習に集中できず,シーズンの成績は振るわなかったのですが,シーズン最終の伝統戦に秩父宮で快勝し,監督から「終わりよければすべてよし」の言葉をいただきました。それまでの労苦が吹き飛ぶように嬉しく,また,最後まで頑張れば報われることがあるとの教えになりました。
大谷剛彦(おおたに たけひこ)
大学時代のポジションはPR。法学部を卒業した後裁判官としてキャリアを重ね、最高裁判所事務総長、大阪高等裁判所長官を経て平成22 年より最高裁判所判事を務める。
平成6年卒部
OB会強化委員長兼コーチ
金子 浩士
――東大ラグビー部4年間をどのようなときに思い出しますか?
仕事が一段落した、ふとした瞬間に思い出します。あの時何故トライを取られてしまったのか。勝った試合はどうやって勝ったのか忘れましたが、負けた試合はどうやって負けたのか、鮮明に覚えています。根本的に負けず嫌いなので、学生時代の苦い経験を社会人ではしたくないと、潜在的に思っているのかもしれません。――4年間を一緒に過ごした同期はどのような存在ですか?
一言でいえば戦友。社会に出てそれぞれが勤務している会社、仕事の内容がどのように変わろうと、同期と一緒のときはいつになっても学生時代の出来事が話題になります。一方で、過去だけでなく、今の東大ラグビー部のことや、自分達の仕事のことを語り合い、お互いに刺激し合う良い関係です。――4年間で一番うれしかった出来事はなんですか?
大学4年の時、それまで2 連敗していた成城大学に完封勝利した時です。先の質問にあるように、どうやって勝ったのかは覚えていませんが、慶応に勝った時よりも気持ちが充実していたことを覚えています。
金子浩士(かねこ ひろし)
大学時代のポジションはFL。大学院に進学した後、株式会社日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)に入行。NY 勤務等を経て、現在みずほコーポレート銀行本社勤務。OB会強化委員長及びコーチを務め現役を支える。
平成24年卒部
東京大学大学院修士2年
瀬能 未奈都
――ラグビー部の4年間を思い出すのはどのようなときですか?
ラグビー部を思い出すのは、試合で後輩の活躍を見たり、ホームページなどで後輩が頑張っている写真を見る時です。現役時代は自分も後輩達と同じように毎日必死で頑張っていたのだな、と思うと懐かしさが込み上げてきます。楽しい思い出も、辛い思い出も、今では全て笑って語れる良い思い出です。――4年間を共に過ごした同期はどのような存在ですか?
試合に出られないマネージャーという立場の私にとっては、同期は自分の想いを託すことのできる存在でした。また、同期の頑張る姿を見て、自分も頑張ることができたり、悔しさ、嬉しさを共有できる大切な仲間でもあります。四年間で最も多くの時間を共に過ごした同期は、お互いの性格もよくわかっており、卒部した今になっても会うとほっとできる存在です。――4年間で一番嬉しかった出来事は何ですか?
一番嬉しかったのは、4年生で公式戦初勝利をした成城戦です。それまでは新チーム発足後、春、夏の定期戦、対抗戦初戦まで全敗。部員の努力を間近で見て、今回こそは勝てる、と信じているのに負けが続き、毎試合後悔しい気持ちでいっぱいになりました。そんな中ようやく手にした成城戦勝利に「やっと勝てた」と皆で泣いて喜んだことは忘れられません。
瀬能未奈都(せのう みなと)
大学時代はマネージャーとしてチームを支えた。工学部電気電子工学科卒業後、東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻修士課程に進学。太陽電池の研究に取り組んでおり、昨年フランクフルトで開催された国際会議ではPoster Award を受賞した。
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